2015年7月25日土曜日

「"夏"が来た!」秩父川瀬祭り(埼玉県秩父市)


風通しの良い家の二階の畳の上でうたた寝していると、どこからともなく聞こえてきた秩父屋台ばやしの太鼓の音で思わず目が覚める。今日が「祭り」だということをふと思い出す。

祭りの衣装に着替えて気持ちを整え、少しばかりの気合を入れる。今回曳かせてもらったのは、中町の笠鉾(かさぼこ)。色鮮やかなピンクの花びらと、細部まで施された彫刻はまさに芸術作品。そこに子供が乗り、「寳来(ほうらい)」という言葉を続けて発声する。地元秩父の小学六年生が主役で笠鉾に乗るのは昔は男子だけだったものが、数年前から女子もOKになったそう。



運行役と呼ばれる若手の頭が笠鉾の進行方向を見極め、準備が整ったと判断すると、じゃらんじゃらんと鐘を大きく響かせる。それをスタートの合図に、綱を引っ張って町の中を進んでいく。一見するとただ歩いているだけのようにも見えるが、初動の際のグイッと来る感覚は気持ちいいし、道を曲がるときの臨気応変な動きを求められる緊張感もたまらない。総じて、皆真剣そのもの。

綱の曳き手は、笠鉾に近いところから、大人の男・中高生男子・女性・子供と綺麗に分かれている。ちなみに休憩時も地元の男たちはその場を離れず、休憩するのは女性と子供のみ。運行役の他にも、様々な役職を地域の中核を担う男たちが担っている。



秩父で有名なのは日本三大夜祭と言われている秩父夜祭。夜祭も川瀬祭りもどちらも秩父神社のお祭りなのだが、地元では夜祭を「冬祭り」「大人の祭り」と呼び、一方秩父川瀬祭りを「夏祭り」「子供の祭り」とも表現する。両者で山車や笠鉾の大きさなどは異なるものの、共通しているのは秩父独特の太鼓と篠笛の音色「秩父屋台囃子」である。山車の車輪のすぐで上で激しいリズムをずっと叩いているのだが、敢えて隠して見せないようにするのがなんとも粋だ。

秩父川瀬祭に関しては、300年頃前に、疫病退散を目的に、京都の祇園祭りをもとに創られたと言われており、今でも「お祇園」という表現が残っている。各町ごとに山車や笠鉾のデザインも違い、すれ違うときなどに、太鼓の音色を合わせて互いに掛け合いをする様子は圧巻。



そして、夜には提灯がつき、幻想的な風景が広がる。



大迫力との花火ともコラボする。



川瀬祭りのもう一つのクライマックスはこちらの「神輿洗い」
今回は生で見ることはできなかったが、400キロのお神輿を担いだまま荒川に入っていく。今年はお祭りの2日ほど前に台風が来ていため、川も増水していたためかなり緊張感があったのではないかと思われる。



今回は2日間参加させてもらい、真夏の炎天下や夕立にも似た雨なども経験した。昼、ミンミンゼミが威勢よく鳴いていると思えば、気づくと夕方にはヒグラシの音が刹那を感じさせてくれる。小さかった頃の「夏」がありありと蘇ってくる。



P.S.
とあるご縁でお祭りゴミ拾いボランティアもさせていただくことになった。これを通していろいろな問題点も沸き上がってきたが、歩くことで街を知り、地元の中高生の甘酸っぱいやり取りを観察し、お祭りに来てる方々とのコミュニケーションもでき、とても良い機会となった。



激しさ、美しさ、神秘さ、荘厳さといろいろなものが凝縮された真夏の祭典、秩父川瀬祭り。来年7月19日、20日は是非足を運んでみてはいかがでしょうか。




2015年6月30日火曜日

幸せを運ぶ『獅子』高木神社例大祭(東京都墨田区)


全長10メートルを超える獅子が、クネクネと器用に身をこなしながら、下町の路地裏を駆け巡る。地域の家々を訪ねて、ときには家の中まで入り込んでいく。この機会をずっと待っていたとばかりに涙を流してそれを迎える高齢者の方々や、大迫力の獅子が近づくと泣きわめく子どもたち。
なんとも形容し難い、とても独自性のあるこのお祭りに参加する一番の楽しみは、人々の「生活」そのものに入り込んでいけることではなかろうか。


獅子頭の重さは20kg弱と言われ、これを二人で持ち、非常に日本的な足の運びで摺り足で進んでいく。獅子が地を這っているように見えるといいのだそうだ。
獅子の身体の部分をかたちづくる深緑色の布の縁をみなで持ち、バタバタと揺らすことで、まるで生きている獅子かのように見えてくる。興味深いのは、大部分、近所の子どもたちがその役を果たしているということだ。どこからともなく子どもたちが集まってきては、去っていく。不思議な感覚に陥る。


獅子はオスとメスそれぞれ二体おり、場所場所で向き合った際にそれぞれが近づいていき、周りが声を上げて、互いの息を合わせて獅子頭をグッと持ち上げ、交差する。これがいわゆる『合わせ』と言われるもの。この度に、気持ちが高ぶる。


お昼ご飯には、手作りの豚汁と、熱々のメンチカツをいただく。「近くの肉屋さんのメンチカツ」は、とてもジューシーで、温かみがある。この感覚はなんだろう。



今回は三年に一度の高木神社の「大祭」だったこともあり、獅子が終了した次の日には、(普段は出ない)御神輿がでることになった。最高の青空の下、「オイサー、オイサー」の掛け声に合わせて神輿を担いでいく。とても立派なお神輿で、重量もかなりあるだろう。やはり下町のお神輿。江戸っ子の粋な感じで盛り上がるし、普段なら気になるであろう多少の口の悪さも、必要な要素に思えてしまう。


やはり神輿はおもしろい。担ぎ手の息が合ったときのあの一体感は何ともいえないものがある。



そして圧巻は宮入り。高木神社の鳥居をくぐると、これ以上ないくらいに人が密着して、何度も行ったり来たりを繰り返す。ようやく最終的に差せたときは達成感と安堵感に包まれた。



今回このお祭りを通して感じたのは、地域の魅力。そして人の魅力だ。
祭の舞台は墨田区の京島地区の一部で、墨田区内でも空襲で焼けなかった数少ない地域だったということもあり、昔の道が残っており、狭い路地がくねくねと通っている。最寄りの曳舟駅前などはマンションも増えているが、平屋の一軒家も多く、自営のお店も多かった。獅子を持って家に入り込んでいくことなどもあり、文字通り「生活を覗く」ことができた。そこにあるおじいちゃんおばあちゃんの顔、そして湧いてくるこどもたちの存在が、生きていることを強く実感させてくれた気がする。人情味のある町。


今回は、旧寺島四丁目という地区の「四丁目睦(よんむつ)」を紹介してもらい、参加させてもらった。お祭りの前にも、お祭りの創り手の方にお話を聞かせていただいた。自分たちの地域とお祭りに対する愛に溢れた方たちで、外者を気さくに受け入れていただいたことに本当に感謝をしている。この方たちがいなかったら、こんなに安心して楽しめなかっただろう。

来年の6月1週目の土日は、是非足を運んでみてはいかがでしょうか?
よんむつホームページはこちら(http://naruhi86.wix.com/mutsumi-04

2015年5月9日土曜日

「跳ぶぞ、跳ぶぞ!」松原神社例大祭(神奈川県小田原市)

「よし。跳ぶぞ!跳ぶぞ!」

その掛け声を聴いて提灯を持った二人が前に走ると、神輿の前にスペースができあがる。
それは「走る」ことを意味するGOサインだ。

直立不動の状態で木遣りを聞き、声を合わせる。声が揃って、大きさが増幅する。
まわりの気配をじっと感じながら、タイミングを測って、一気に走りだす。
担いだ神輿がブレないよう、腕を使って肩にぐっと近づけて走る。
そして、止まる。止まり、切れない。
ようやく静止すると、身体の弛緩とともに、笑みが溢れる。





申し訳ないけれど、正直、ここまで楽しいお祭りだなんて想像していなかった。

2月の終わりに参加した地元の友人の結婚式二次会で久々に会った高校の友人から、「5月に小田原でお祭りやるから来なよ」と誘われたのがきっかけ。4月のある日、ぱっとそのことを思い出し、彼とやりとりを重ね、このお祭りに参加させてもらうことになった。

当日。10時に会場に集合し、着替えを済ませる。
午前中は主に寄付を頂けたお店や家に対して、木遣りをあげ、神輿を担いで突っ込む動作を繰り返す(いわゆる、神輿を「差す」)。

この動作をするとき以外は「わっしょい、わっしょい」と神輿を揺らすわけでもなく、ただ肩の上に載せて運んでいた。わりと静かで大人しいお祭りなのかな、というのが最初の感想だった。

それがお昼になり大通りに出てから、その印象は一変した。
冒頭の「跳ぶぞ」の合図とともに、神輿を担いでダッシュをし始めたのだ。
※「跳ぶ」は小田原の方言で、走るという意

慣れ親しんだ小田原駅の周辺を、神輿を担いで何度もダッシュしてヘトヘトになったり、
クライマックスに向けて各町会の神輿が集まってきた際には、隣の神輿と連結してダッシュ。多い時には、3つの神輿との連結ダッシュ。

転けたらヤバイという緊張感と、神輿を担ぎながら走るという高揚感の効果で、アドレナリンが出てくる出てくる。「爽快」という言葉がピッタリ。

勿論、魅力はそれだけではない。
一件一件小田原の町中のお店を回っていく中で、「(昔はなかった)こんなお店があったのか」「やはり小田原は練り物の町なんだな」など、地元として知っていたはずの場所に対する新たな発見があったし、小田原に昔から住んでいる人たちとの何気ない交流も、やはり心温まるものがあった。(自分は地元を出た人間だから、余計)

最後に、今でも鮮明に残っているシーンがある。いわゆる「宮入り」だ。

日暮れの時刻を過ぎ、自分たちのお神輿の宮入りの順番をじっと待ち、その時は来た。
沿道の両側には赤い提灯が連なる屋台が構えており、太鼓の音が聞こえる。

合図があり、今までにないほど長い距離を神輿を担いで駆け抜ける。そして、交差路を直角に曲がる。ググっと重力を感じつつも体勢を立てなおして鳥居を目の前にすると、そこには大勢の観衆が待ち構えていた。その中を、文字通り、疾走した。

『このときのために一年間やってるようなもんだもんね』と担ぎ手の一人がつぶやいていた通り、それはまさに「感動」の瞬間。

神事であることは承知しているけれど、こんなエンターテイメント、なかなか味わえないと思う。


今回参加させてもらったメンバー