2014年9月21日日曜日

「祭」を通した、住人としての小さな幸せ

18歳で地元を出て一人暮らしを始めてから、早10年以上が経つのだけれど、昨日、初めてでとても嬉しい出来事があった。

同じ地区の住人の方に「大原さん!」と笑顔で声を掛けられたのだ。

僕が住んでいるマンションを出て、走って道路を横切った瞬間、後ろから大きな呼びかける声が聞こえた。

「横断歩道ちゃんと渡れよ、このやろー!」的な感じなのかと思い、びくびくながら振り返ると、同じ地区に住んでいる人が手を振ってくれて僕の名前を呼んでくれていたのだ。
少しほっとして、「あ~、どうもー!!」と言って、僕は駅に向かって走っていった。

たかが5秒のやり取り。しかしそのやり取りで、なぜだか心がほんわか満たされた。僕と僕と認識して、声を掛けてくれたことが、とても嬉しかった。


きっかけはこちらのビラです↑

              
っかけの話。
8月のある日、このビラがマンションの入り口に貼ってあることに気付いた。
「地元のお祭りに携われるものなら携わってみたい」と東京に越してきてから長年思ってきたけれど、一度もそういうチャンスがなく過ごしてきた自分からすると、「ついに来た!!」という感じ。
担当の方に電話をすると、「何人か連れてきてもいいよ」ということだったので、先週日曜日に、友人4人と一緒に、地元の連の人たちと神輿を担いできました。

そのとき一緒いた地域の住人の方が、昨日挨拶をしてくれた方なのです。

ある地域に住んでいても、そこの地域と全く関わりなく日常を過ごしている、そのことに対する違和感。
「でもこれが都会的な生活ってもんなんかな~」とあきらめかけていたところに見えた希望。

祭がきっかけとなって、下町での自分の生活が少しずつ豊かになりそうだ。

2014年9月7日日曜日

人生で初めて「神輿」を担ぎました!



31年間生きてきて、ついに、神輿を担ぎました!!
(といっても、僕のことを知っている人には、あまり驚かれないかもしれません)
今まで神輿を担いだことがなかったのが、自分でも嘘のようなのですが、ほんとです。
機会が無かったのです。

大学生の頃、就職活動のために自己分析というものをしました。
自分の過去にさかのぼって、したいこと、得意なことなどを掘り下げていくというもの。
幼少期の夢については覚えていなかったので、実家に帰って「一番小さかった頃の自分の夢」について、母親に聞いてみました。
すると、このようなことを答えていたようです。

「僕、大人になったら、おみこし屋さんになりたい!!」

それを聞いた母親は少し困った顔をして「おみこし屋さんは職業じゃないのよ、、」と答え、僕はがっかりとした顔をしていたそうな。

大学生の僕は、なぜ「おみこし屋さん」なのか、少し分析してみました。
当時、地元(神奈川県南足柄市)の夏祭りにて、神輿がワサワサと揺れながら動いて行くことで、それを中心に、観ている周りのひとがパッと笑顔になり、自然と繋がっていく、その様に憧れたのだろうと。同様に、花火にもものすごく強い憧れがあります。

「おみこし屋さん」というと、神輿の担ぎ手や神輿の作り手を想像しますが、おそらくそうではなく、僕の関心は神輿それ自体だったと思うのです。

以来、特に意識せずに、気づくと神輿っぽいことを求め続けていました。
振返ってみると、大学の卒論で「円陣」について研究したのもそう、「ピストン」という全身での動きもそう。中心部分にエネルギーや視線が集まって、気づくとまわりの皆が『つながった感覚』つまり『一体感』を憶えている、そういう瞬間をつくっていくことが無常の喜びなのだと。

しかし、ほんものの神輿それ自体に触れる機会がなかった。神輿含め、祭にもっと触れるため、浅草に越して半年を過ぎ、とある友人の計らいで、facebookで「神輿担ぎませんか」の招待が来た!「おおっ」と反応し、参加させてもらったのが、今回のお祭り(亀戸神社大祭)だ。


今回入れてもらったメンバー

終わった後は汗だくだく。とても楽しかった!!
特に声を合わせて、動きを合わせたときに感じる一体感と高揚感はヤバかったな〜。

が、まだ一度だけしか担いでいないので、まだまだ全然奥深いとこまで行けてないんだと思う。
ここからだな☆

この機会をくれた友人の喜谷武くんと主催者の細田くんに心から感謝です。